
2008年01月17日
黙祷

13年前のこの日、私は兵庫県西宮市の甲子園球場からさほど遠くない3F建ての鉄筋コンクリート打ちっぱなしの建物の3Fにすんでいました。
明け方何故か暑さで目覚めて布団の上で正座してました。
すると北の方から地響きが聞こえてきて、突然部屋が皿回しの皿のように激しく回る様に揺れだしました。
私は踏ん張る為に四つん這いに成って「ジィヒンダァ〜〜〜!」と叫ぶのが精一杯でした。
これがあの阪神大震災です。
近くの実家は全壊しましたが、私の両親、兄弟、当時の家族とも無事でした。勤めていた会社もうまく行かなくなり仕事を失ってしまい大変苦労しました。
その後覚悟を決めて心機一転、大手宅配会社に入社して生きる為にとキツいキツい仕事をやり始めました。
宅配業は受け持ったエリアの人総てがお客さんなので、この震災で痛手を負ったさまざまな人を見ていたたまれない思いをよくしました。
ある奥さまは配達の際のささいな事で苦情の電話を架けてこられワメキ散らすので有名で荷物が届く度、またクレームをつけられるのでは無いかと出来れば行きたくないお宅でした。
しかし震災前から居る社員に依ると地震の前は明るい、感じの良い奥さまで良いお付き合い出来ていたらしかったですが震災を境に人が変わってしまったらしいです。
あとお子さんを無くしてお人形さんを我が子の様に抱かれて外出する夫婦の方とかいらっしゃって、神さまが居たら生身の赤ん坊に代えてくれないかといつも見掛ける度にやり切れ無い思いをしていました。
当時、私共の地域が社の中でも自動車事故が異常に多いと本社から安全担当管理者が急遽視察に来た事がありましたが、彼がどうも神戸で走っている車全体の運転が殺伐としている様に見えると感想をこぼしていましたが、これも震災の影響で皆の心の中に何か暗い部分を駆り立てていたのかも知れません。
この国の危機管理の脆弱さを投げ掛けた、この大震災は今だに沢山の更地と心の中にポッカリ空いた穴を埋めきらないまま13年目を迎えます。
Posted by Kou at 01:22│Comments(0)